コラム 牧師の書斎から
2024年4月7日 澤村信蔵
ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。(マルコ14章51~52節)
今日は、このある青年のことが記されています。この青年はほかの箇所には一切出てきません。なのに、なぜこの記事があるのか・・多くの人は、それはこのある青年がマルコ自身だからだと解釈します。自分が、十字架を目の前にして逃げ出した。しかも、裸になって、一目散に逃げたその事実を記すのです。この自分の姿をマルコ自身が忘れないためです。
イエス様は十字架にかかった後、3日目によみがえりました。ペンテコステの日、マルコの家で、120人の人が一緒に祈っていた時に、聖霊が注がれました。そして、聖霊が注がれた後は、力あるものになりました。マルコ自身も、大きく変わりました。人間的な弱さはありますが、最後までイエス様に従う者と変えられたのです。ただ、その自分の原点、逃げ出した自分を忘れないように記したのです。裸になって、周りを気にすることなく、ただ一目散に逃げだした自分。イエス様の十字架を前にして逃げ出してしまう弱い自分。そんな自分が、今、主の十字架によって救われて、変えられたということを覚えたのです。私たちもこの姿勢が大切です。自分はどこから救われたのか。罪ある者、弱い者、主の十字架を前にしても、逃げ出してしまう自分が、今救われているのです。そう変わるために、イエス様はまっすぐに十字架へと進んでくださったのです。私たちをそこまでして救ってくださったイエス様を心からほめたたえましょう。