コラム 牧師の書斎から
2024年4月14日 澤村信蔵
まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。(ルカ18章7節)
今日は、祈りの大切さをメッセージで語るように導かれていますが、祈りは、一度したからいいということではなく、祈り続けることが大切です。このルカ18章には、一人のやもめが登場します。やもめというのは、ユダヤ社会における弱者でした。頼る人がいない。経済的にも厳しい。そんな人の象徴として出てきます。そんな人が、この世にあって、何か理不尽な目に遭遇したのです。私たちの社会でも起こり得ますね。そのやもめの唯一の希望。それが、裁判でした。でも、この裁判官は、神をも恐れず、人を人とも思わない裁判官でした。でも、彼女は、もうここしか自分が助かる道はないと、何度も何度も食い下がって助けを求めたら、裁判が行われる道が開かれたのです。根負けをしたんですね。だから、私たちも夜昼、いつも祈り続けるようにとイエス様は励ましておられるのです。でも、忘れてはいけないことがあります。それは、神様は、この裁判官のようなものではなく、私たちを愛し続けて、私たちの最善をいつも願っておられるお方です。私たちが、本当に神様に期待して祈り続けるなら、祈りに応えてくださらないはずがないのです。皆さんは、神様だけが自分の問題を解決してくださると期待していますか?だとしたら、祈り続けましょう。神の時に、最善の解決が与えられるまで、祈り続けていきましょう。