コラム 牧師の書斎から
2024年4月28日 澤村信蔵
「わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」ヘブル8章12節
昨日の聖書を学ぶ会は、Ⅰ歴代誌でした。歴代誌は、第一がサムエル記、第二が列王記に記されている内容と似通っています。でも、全く同じではなく、歴史的な事実を解釈して書かれています。なので、書かない内容もありますし、詳細に付け加えられている内容もあります。ダビデについて、詳細に記されているは、神殿を作るために準備をしたことです。
ダビデ自身は、神殿を建てられませんでしたが、彼が神殿のためにどれほどのものを用意したかということが記されています。彼が神様のために労したことははっきりと記されるのです。そして、逆に、彼自身の最大の罪、バテ・シェバとの姦淫の罪などは記されていないのです。どうしてでしょう。それは、この歴代誌が、単なる歴史の事実を記した書ではなく、歴史的な事実を神の視点で解釈して書かれているからです。神の視点から見るならば、神はもはやその罪を赦し、もう思い出すことをしない、つまり、神の目から見たら、罪はもうないのです。だから、記されないのです。これは、本当に恵みですね。私たちもそうです。主イエスの十字架の血潮により、すべての罪が赦されているのです。もはや思い出すことはないのです。なんという恵みでしょうか。そして、神の前に残るのは、私たちが神の前になした一つ一つのことだけです。だからこそ、精一杯今日も主に仕えていきましょう。それは必ず神の前に残るのですから。