ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2024年5月5日 澤村信蔵

神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。(創世記2章7節)

インターネットを操作していると、たまに「私はロボットではありません」のチェックを要求されることがありますね。そういわれると、ロボットでないとチェックを入れて、簡単な画像認識をさせられ先に進めます。AIが進歩してきています。もうしばらくすると、こんな簡単なものなら乗り越えるAIは簡単に作れるだろうと思います。そもそも画像認識ができれば人間で、それができなければロボットなのでしょうか?そう考えていくと、ロボットと人間の違いは何なのかと思います。究極的に言うと、私たちが人間であるということは、いのちの息を持っているかどうか、そこにあるのではないでしょうか。「いのちの息」とは、土で造ったアダムロボットを動かす動力ではありません。独自の人格と自由意志をもった霊的存在としての生命力です。私たちは、神様から自由意思を与えられています。救いでさえもそうです。イエス様を与えて、私たち一人一人を救う道まで開いてくださったのにも関わらず、神は人間に何も強要することはしないのです。もちろん、間違いを示し、正しい道へ返れと促すことはありますが、強要ではありません。あくまで、人間の自発的な意思によって、神に立ち返ることを望み、待っておられるのです。神の似姿として造られた人間が自発的に、創造主を信じて従うことを願って今も待っておられるのです。私たちは、ロボットではありません。神様から与えられた自由意思をどう用いるのでしょうか?今日も神が与えてくださった自由意思で、神様を心からあがめていきましょう。