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コラム 牧師の書斎から

2024年5月26日 澤村信蔵

わたしが天を閉ざして雨が降らなくなったり、あるいはわたしがバッタに命じてこの地を食い尽くさせたりして、わたしがわたしの民に対して疫病を送ったときには、わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。(Ⅱ歴代誌7章13~14節

 昨日は、聖書を学ぶ会でⅡ歴代誌をともに学びました。ソロモンによる神殿建築と、その後、南ユダ王国が神様に従わないで、バビロン捕囚の憂き目にあうという歴史です。その中で、今回私自身が特に教えられたこと、それは、神様のもとへ戻るなら、いつでも神様は赦し回復してくださるということです。冒頭の言葉は、ソロモンが神殿を奉納した時、私たちの祈りに、どんなときにもこたえて下さいと祈った祈りへの応答です。ソロモンは、イスラエルの民が、いつも神様に従うのではないことを知っていました。つまづくこと、神様以外のものに頼ることがあっても、神様に立ち返ったら祈りを聞いてくださいと願ったのです。そして、神様はその祈りをよしとされたのです。実際、Ⅱ歴代誌を見ると、彼らが神様に立ち返った時にはいつも赦し助けて下さったのです。それは、私たちも同じですね。失敗をしたり、罪を犯してしまうことはあるでしょう。でも、私たちが、神に立ち返るなら、必ず神は罪を赦し、私たちを回復させてくださるのです。