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コラム 牧師の書斎から

2024年6月2日 澤村信蔵

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。(Ⅰコリント12章26~27節)

 皆さんが普段付き合いの人ってどんな人ですか?共通の趣味があったり、何か知らないけど相性が良かったりと一緒にいることが快適な人が多いのではないでしょうか?自分とそりが合わない人や、一緒にいて嫌な思いをする人とは友人にはならないですね。中には、嫌でも付き合わないといけない人っていますね。例えば、仕事上の付き合いとか、近所に住んでいる人とか。でも、そういう人は、利害関係というのでしょうか、付き合わないといけない理由がなくなれば、関係は終了してしまいます。

 でも、一つだけある意味で、嫌でも付き合わないといけない関係があります。それは、家族です。家族は嫌だといっても、何があっても家族であることはかわらないのです。教会も同じです。老若男女います。それこそ多種多様な人がいます。もし教会に来なかったら絶対に関わり合いにならなかったような人もいるかも知れません。でも、神様は、私たちを一つのからだとしてたてあげてくださいました。一人ひとりがかけがえのない部分として組み合わされているのです。今置かれているこの成増教会にいる一人ひとりはキリストによって導かれひとつのからだ、一つとされているのです。そのことを覚えて、主にある交わりをしていきましょう。