コラム 牧師の書斎から
2024年7月21日 澤村信蔵
王は私に言った。「では、何を望んでいるのか。」私は天の神に祈ってから、王に答えた。「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」(ネヘミヤ記2章4~5節)
昨日の聖書を読む会は、ネヘミヤ記を読みました。ネヘミヤ記の中心は城壁再建です。ネヘミヤは、ペルシア帝国の献酌官で、信仰の人であり、特に、どんなときにも祈った人でした。エルサレムの惨状を聞いた時には、座り込んで泣いて、数日間断食をして祈りました。また、城壁建築に対する妨害の際にも、いつも神の前に祈りました。そして、最後も、ネヘミヤ自身の祈りで終えられています。その中でも、非常に教えられるのは、冒頭の短い祈りです。献酌官であるネヘミヤが沈んだ顔をしていたことが、王にばれたのです。王の近いところにいる献酌官は、いつも笑顔でいないと、何か企んでいると、勘ぐられるのですが、惨状を聞いて4か月が経過して、ずっと祈っていたから、その沈んだ様子がつい出てしまったのです。でも、そのことを機に、エルサレムの現状を伝え、やっと王が何を望んでいるのかと聞いてくれたのです。最高のチャンスであり、でも、同時に、答え方を間違えたら、いのちにもかかわる場面です。そんな時、ネヘミヤは王の前で、短い祈りをしたのです。声に出してもいないかも知れません。でも、祈りなしには、何もできないことを知っていたのです。そして、このことをきっかけに、エルサレムに帰ることを許され、城壁再建が出来たのです。私たちは、このネヘミヤの祈りを見習いましょう。どんなに短くてもすぐに祈りましょう。ただ同時にこの短い祈りがささげられるのは、いつも神の前に祈っていたからです。今日も、どんな問題でも、誰の前でも、主に祈っていきましょう。