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コラム 牧師の書斎から

2024年9月8日 澤村信蔵

 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ3章17節)

 先週は、先輩の牧師や、教会のメンバーや、鹿児島の教会のメンバーなど次々に召されるということを体験しました。それぞれ多くの戦いを通られた方々ですが、信仰の歩みを歩まれて、天に帰って行かれました。そういうことを体験する中で、私たちの希望がどこにあるのかをもう一度思い起こしました。「我らの国籍は天にあり」まさに、天に国籍を持つ者とされているということがどれほどの幸いなのか覚えました。でも、それは、天国に行ける権利ではありません。何があっても天国に行けるというだけでなく、今、この地上に生きている時も、天国へ国籍を持つ者として歩んでいくことができるのです。先輩の牧師は、18年前に、階段から落ちて、頚椎を骨折し、首から下が動かなくなりました。それでも、毎日、感謝をささげて生きておられました。時には、痛みで耐えられなくて、看護師に少し厳しい言葉を言ってしまったようです。「あなたたちは、それでもプロなの」と。でも、夜神様の前に出て悔い改め、そして、翌日一人一人に謝ったそうです。そうやって小さいながらも神の言葉を実行していく時、多くの人がなんでこの人はこんな試練の中にあって、前を向いていけるのかと聞きにきたりしたそうです。それが神様がいるからですよと主が証しされていくのです。どんな中にあっても、天に国籍を持つ者としてこの地上の生涯を送っていきましょう。