コラム 牧師の書斎から
2024年9月22日 澤村信蔵
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1章21節)
昨日聖書を学ぶ会でヨブ記をともに読みました。ヨブは、義しい人として有名で、エゼキエル書14:14~20で、義人代表としてノア、ダニエルとともにヨブの中が記されています。息子は7人、娘は3人、多くの財産を持ち、東の人々の中で一番の富豪であったとも記されています。子ども達も毎日お互いの家を行き来しながらともに食事をするというまさに理想ともいうべき祝福された家庭がありました。そんなヨブが、突然途方もない試練に遭遇するのです。それは、ヨブの責任ではなく、サタンが神様に直談判したからです。ヨブが神様に従うのは、神様が祝福しているからだ。もしヨブに試練が訪れたら、神をのろうはずだと言うのです。そうやってヨブは試練に遭います。一度にすべての財産を失い、子ども達も皆一度に失うのです。その後も、サタンの試練は続き、今度はヨブ自身の体が全身くまなく腫瘍で覆われます。ヨブほどでないにしても、私たちは何も悪い事をしていないのに試練が訪れることがあります。なぜ義人が苦しないといけないのかと聞きたくなります。ヨブ記が語るのは、その理由は、私たちの知りえないところにある。しかし、ヨブが試練の中にあっても神を求め、神に訴え続けた時、神ご自身がご自分を現わして、慰め祝福を与えてくださったように、私たちも試練の中で「なぜ」ではなく、神に寄り頼むことの大切さを覚えさせてくださいます。今日も、主を見上げて歩んでいきましょう。