コラム 牧師の書斎から
2024年11月24日 澤村信蔵
主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。(箴言1章7節)
昨日は、聖書を学ぶ会で箴言を学びました。箴言は、知恵を言い表す短い格言、ことわざを意味します。長い間にわたって教えられ、語り継がれてきたものを箴言を収録したものです。その中には、ソロモンが記したものが多く、その他にも、アグルや、レムエルや、特定はできませんが知恵のある者たちが記したものが残られています。契約の民であるイスラエルは、モーセの律法や預言者のことばに忠実に歩むように命じられています。箴言は、まさにその律法をどのように実践していくのか、日常生活の指針書のようなものです。この箴言のことばの通りにいきていけば、神様の祝福を受けて歩んで行けるのです。この書の目的は、人に知恵と教訓を教えること、とくに「浅はかな者を賢くし、若い者に知識と思慮を得させる」ことにありました。つまり、読者を知恵のある人とすることを目的にしています。でも、その知恵は、どこから来るのか、それは、主から来るのです。だから、主を恐れることこそ、知識の初めですし、知恵の初め(9:10)なのです。私たちは、自分の力に頼ってこの人生を生きようとしますが、それは必ずいつか限界を迎えます。自分の力では、生きられないのです。神の存在を認めて、神に頼って、神に委ねていくこと、これこそが本当の知恵ある者の生き方です。あなたは、人生を生きていくための知恵を持っていますか?その知恵は、神様からいただくしかないのです。