コラム 牧師の書斎から
2024年12月8日 澤村信蔵
これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。(ヨハネの黙示録22章20節)
皆さんは、待つことが好きですか?最近、待つことが難しくなってきているように思います。電車やバスなど交通機関が少し遅延したらイライラしますし、中には、エレベーターも乗るや否や閉まるのボタンを押したりする人もいます。時間的な余裕、心の余裕がなくなってきているのかも知れません。実際、待つことが苦手だということは多いと思います。私もそのひとりですが・・
でも、信仰生活において、待つことは大切です。待つことによって、信仰が育まれるからです。なぜなら、待つことは、自分が相手のことを信頼し任せることでもあるからです。相手に対して少しでも、疑念を持ったり、信頼をなくしたりしたとき、「待つこと」は途端にいらだちに変わります。でも、必ず来ると期待しているならば、ゆったりと心穏やかに期待して待つことができるのです。私たちが待っているのは誰でしょうか?イエス様は、2000年前に来られただけでなく、十字架にかかり、よみがえり、天に上られました。そして、再び来ると約束をされました。その日は遅くなっても必ず来るのです。アドベントは、この主を待ち望む時でもあります。2000年前も、旧約で預言された通り、主はみどり子としてこの世に来てくださいました。そして、いつの日か、また私たちを迎えに来てくださるのです。私たちの主は約束を必ず果たされるお方です。このアドベントの時、再臨の主を心から待ち望みましょう。