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コラム 牧師の書斎から

2024年12月15日 澤村信蔵

 「主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされるからだ。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない。」Ⅰサムエル12章22~23節

 冒頭のことばは、サムエルの言葉です。預言者サムエルが、年を重ねたとき、民は、ほかの民と同じように、王様を求めました。その結果、サウル王が誕生しました。サムエルは、年老いたとは言え、民に見捨てられたのです。それでも、サムエルがなしたことは、とりなし祈ることでした。自分を見捨てる民のために、祈り続けるのです。今、祈祷会でエレミヤ書を読んでいますが、エレミヤもそうでした。あまりにもイスラエルの民が、神様に反逆し続けるので、神様は、エレミヤに3度も祈ってはならないと言われました。それでも、彼はすぐに民のための、とりなしの祈りの手を挙げ続けたのです。なぜなら、神のみこころは、どんなに厳しいことを言っていても、彼らを滅ぼすことではなく、彼らを救うことであることを知っていたからです。だから、エレミヤは、ダメと言われても、祈り続けますし、サムエルは、祈りの手を挙げないことは、罪だとまで言っているのです。このクリスマスは、私たちを見捨てることができずに、神がイエス様を送ってくださったことをお祝いする日です。神様は、何が何でも私たちを救いたいのです。とすれば、私たちもその思いを知っているはずです。私たちも、このアドベントの時とりなし祈り続けましょう。そして、教会に誘い続けましょう。