コラム 牧師の書斎から
2024年1月26日 澤村信蔵
エルサレムの娘たち。ケダルの天幕のように、ソロモンの幕のように、私は黒いけれども美しい。あなたがたは私を見ないでください。私は日に焼けて、浅黒いのです。(雅歌1章5~6節)
昨日、聖書を学ぶ会で、雅歌を一緒に読みました。雅歌は、歌の中の歌、最上の歌という意味です。直接的には、男女の愛の賛歌で、結婚のすばらしさを語っています。それだけでなく、キリストと教会の愛の関係を指し示しているとも読むことが出来ます。
冒頭のみことばの後半は、花嫁が、自分は日焼けして浅黒くなってしまっていることを恥ずかしく思っている姿が描かれています。でも、同時に、「私は黒いけれども美しい」とも語っています。どうしてそんなことが起こりうるのでしょうか?それは、花婿がずっと、花嫁に絶えず「女の中で最も美しいひとよ。」(8)と語り続けていたからです。その愛のメッセージを聞くうちに、自分の黒さ、醜さや弱さがあっても、自分は美しいと語ることができるようになったのです。
これは、私たちも同じです。私たちも、自分の弱さを覚えます。どうして、自分はこんなに黒いんだ。誰も見て欲しくないと思う姿があるわけです。でも、そんな私たちに対して、神はいつも「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と語り続けてくださっているのです。私たちはこの神の愛のことばを聞き続ける必要があるのです。その愛の言葉を受け入れる時、どんな弱さや足りなさがあっても、「私は黒いけれども美しい」と語ることができる者となれるのです。