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コラム 牧師の書斎から

2024年2月16日 澤村信蔵

 「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。』」(創世記1章26節)

 先日、『脳が私のすべてなのか』という本を読みました。脳機能イメージングの専門家である作者が、人間を人間足らしめているのは果たして脳なのかという問いかけから始まる本です。最終的には、人間を人間足らしめているのは、人が神の似姿に造られたからというところに行くのが一番良いという結論になっています。そう考えるとなぜ、私たちは考えることが出来るのかという問いにもこたえることが出来る。それは私たちに知性があるからであり、なぜなら、神に知性があるから。私たちに意識があるのも、神に意識があるから。神の似姿だからこそ、私たち人間は特別なのです。そして、もう一つ、われわれの形とあるように、神ご自身が三位一体の神だからこそ、私たちも関係の中で生きるのです。まさに、創世記の最初に、答えがあるのです。そして、この答えを知ると、私たちの生き方が変わります。もし、私たちの心が物質的なものにすぎないとしたら、それは、一時的な者です。でも、私たちの心や意識の起源がこの世界を超越してところにあるなら、私たちは、まさに、その神のために創造されていることが分かるのです。そして、その神のために生きる者となるのです