コラム 牧師の書斎から
2024年3月23日 澤村信蔵
「そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。…わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。…彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──主のことば──。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」(エレミヤ31章31~34節 抜粋)
聖書を学ぶ会でエレミヤ書を一緒に読みました。エレミヤは、神に背信し、罪に罪を重ねたユダヤ人たちに、そこから立ち返るように40年にも語りましたが、誰も聞こうとせず、バビロン捕囚の憂き目を味わいました。でも、神様は、そんな彼らを見捨てず、石に刻まれた律法、古い契約ではなく、新しい契約をいつか与えると言われました。それは、守らないと救われないという契約ではなく、心に刻まれた自分で喜んで守りたいと願う契約でした。それは、31:3にあるように、神の変わらない永遠の愛を知る所から始まります。そして、
罪が赦し、思い起こさない(31:34)ということを体験するのです。これは、まさにイエス様の十字架によって与えられる契約です。行いの正しさではなく、一方的な恵み、愛によって救われるのです。契約を守れないなら、さらに重い罰をではなく、契約を守ることが出来るように、主イエスの十字架による新しい契約を与えて下さったのです。なんという恵みでしょうか。私たちは、今主イエスの十字架によりこの新しい契約に生きる者とされていることを感謝しましょう。