コラム 牧師の書斎から
罪人と知ることが救いの始まり
2025年10月5日 澤村信蔵
「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」ルカ19章9~10節
今日は、私は鹿児島教会で伝道集会ということもあり、ルカ19章に出て来るザアカイの回心からみことばを語ります。今回特に教えられたのは、ザアカイは、自分を正しいと思っていたのではないかということです。だから、彼は「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」と言えたのです。「ご覧ください」は、私の正しさを見てと言わんばかりの言葉です。だまし取ってきてないからこそ、4倍にもして返せるのです。イエス様から声をかけられた時、「周りは罪人だというが、ああ、自分の本当の姿をわかってくれる人がいた」と喜んだのではないでしょうか。でも、そんな彼に主が言われたのが冒頭の言葉です。「ザアカイ、あなたは本当は罪人じゃ無かった。わたしは知っていた」というのではなく、「わたしは失われた人、罪人のあなたを捜して救うために来た」と・・自分こそ正しいと思うそのあなたこそ罪人なんだと。ザアカイは、この言葉を聞き、自分が罪人であることをはじめて知ったのではないでしょうか。私たちも自分が罪人であると認めることは簡単ではありません。でも、主は、私たちも気づいていない罪をも贖い、救うためにあなたの所に来られたのです。罪人であると知ることこそ、救いの始まりです。なぜなら主はその罪人のあなたを救うために来たのですから。



