コラム 牧師の書斎から
キリストにあって一つとなる恵み
2026年3月1日 澤村信蔵
「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(ガラテヤ3:28)
先週、ケズィックの奉仕のために、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会へ行ってきました。この集会は、イングランド北部の美しい町ケズィックできよめの集会が行われたことが始まりです。日本でも、1962年から行われています。かつては箱根で泊りがけで行われていましたが、最近は、泊まりですることが出来なくなりました。今回、2回の奉仕がありましたが、エペソ1章から、1回目は、聖なる者になることは神様の計画であること、2回目は、神の究極のゴールは私たちが一つとなって神を礼拝するようになることを語るように導かれました。でも、2回目はきよめの本筋とは少し外れるので、語るように導かれてはいましたが本当に語っていいのかと恐れがずっとありました。でも、会場に着くと「みな、キリスト・イエスにあって一つ」という標語に目が留まりました。さらに、当日朝の早天祈祷会でも、Ⅰコリント12章12節~が開かれ私たちは一つである大切さを覚えました。私たちが一つとなることがいかに大切か、神様が恐れている私に、一つとなる大切さを語れと励まし導いてくださったことを強く感じました。その結果、大胆に語ることが出来ました。私たちが一つとなるということは何よりも神様の大切なご計画であり、神の望みなのです。今日もこの礼拝で、私たちが一つであることを体験しましょう。



