コラム 牧師の書斎から
罪に定められることは決してない
2026年4月5日 澤村信蔵
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。(ローマ8章1~2節)
イースターおめでとうございます。主の十字架と復活を通して、私たちに起きたこと、それは、キリスト・イエスにある者が罪に定められることがないという事実です。この結論は、シンプルですが、なんと力強く平安をもたらす宣言でしょうか。神の基準の前では、私たち多くの罪が示される者でしかありません。自分で自分をきよくしようとするほどに、出来ないとただ絶望するしかありません。パウロも自分自身を見つめ、この少し前に「私は本当にみじめな人間です」(7:24)と告白していました。「だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」という嘆きに行き着くのです。ある意味で、それに対する明確な答え、救いの宣言がこの1節です。これまでは「本当にみじめな人間」でしたが、今は「キリスト・イエスにある者」とされたのです。キリストを信じて、キリストのうちにいるのでもはや罪に定められることは決してないのです。真の審判者である神の前にあっても、罪に定められないという真理です。イエス様という弁護士が、私たちの前に立って父なる神様にはっきりと弁護し、宣言してくださるのです。これこそ、神の救いのみわざです。今日もこのことを感謝しましょう。そして、まだこの主を信じていない方はぜひ、主を信じ、キリスト・イエスにある者となりましょう。



