--- title: "疑うトマスにも現れる復活の主" date: 2026-07-12 preacher: "アーサー・ホーランド" scripture: "ローマ8章1~2節、ヨハネの福音書20章24~29節" youtube: "https://www.youtube.com/watch?v=n9OGCgHkyB8" service_type: "特別礼拝" church: "キリスト兄弟団 成増教会 (Narimasu Church, Tokyo)" church_url: "https://www.narimasu-church.org/" license_note: "この要約はAIによる自動生成です。正式な内容はYouTube動画をご確認ください。 / This summary is AI-generated. Refer to the YouTube video for the authoritative content." generated_by: "AI (Claude)" generated_at: 2026-07-18 --- # 疑うトマスにも現れる復活の主 2026年7月12日の礼拝は、ゲストメッセンジャーのアーサー・ホーランド師を迎えた特別礼拝。「辛い時にこそ感謝しよう」「私たちの名前が天に記されていることを喜ぼう」という賛美から始まった。 メッセージの中心は、疑いから信仰への歩み。イエスの種まきのたとえ(4つの土壌)から、神のことばの種を受け取る心の土壌が問われた。信じた後も悪魔は信仰を失わせようと誘惑してくるが、「善を行いたいのに悪を行ってしまう」という誰もが経験する葛藤の中でも、みことばを握りしめて歩むことが勧められた。「今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。いのちの御霊の原理が、罪と死の原理からあなたを解放したからです」(ローマ8章1~2節)。 後半は復活のイエスと弟子トマス(デドモ)の出来事から。「傷口に触れなければ信じない」と言ったトマスの疑いは、何を信じてよいか分からない不安の中の素直な心だった。そのトマスにイエスは現れ、「平安があるように」と語られた。神は私たちの座るのも立つのも知っておられる全知の方だから、隠し事をせず、良いことも悪いこともありのままに神に告げて生きることが勧められた。隠せばそれを悪魔が用いるが、すべてを神の前に置くとき、私たちは自由にされる。 信仰とは「望んでいる事柄を保証し、目に見えない事柄を確信させるもの」。祈りにおいてはイエスご自身と御霊が今も私たちのためにとりなしておられ、私たちは「祈られている」存在であることも語られた。