ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2008年5月6日号 小平牧生師

今日は、母の日であり、ペンテコステ。Wでお祝いの日だ。ペンテコステは、聖霊による教会の誕生を喜び祝う日である。私たちは、聖霊をあがめる信仰の伝統を受け継いでいることを思い起こし、今一度ご聖霊をあがめていこう。教会が聖霊によって誕生したという事実は、イエスキリストを信じる者たちが集まっているだけでは教会ではないということだ。聖霊こそ、教会を誕生させられたお方であり、現在もその中心におられるお方。私たちは、この聖霊を、礼拝においてあるいはセルや個人の生活においてどれほど意識してあがめているだろうか。

私たちは使徒信条で「私は聖霊を信じる」と告白する。しかし実際は、聖霊なる神を、私たちを助ける力やエネルギーのような非人格的なもののように受けとめてはいないだろうか。聖霊は、知性と感情と意志を備えておられるお方である。聖霊は喜んだり悲しまれたりするお方なのだ。私たちの集まりに一番大切なメンバーがおられるのに、もし私たちがその方を無視して会話を楽しんでいるとしたら、それは滑稽であるだけではなく、失礼なことだろう。もうここにはいたくないと言われても仕方がないだろう。ともに集まって聖書を学んでも、その集まりの中におられる聖書の著者である真理の御霊をあがめないならば、聖書がわからないのは当然ではないだろうか。かつてヨハネ14章を読んでいた時、主イエスが聖霊を私たちの「助け主」と紹介されたみことばによって、聖霊とは、私が何かをするために霊的な力を下さる方なのではなく、聖霊ご本人が私を助ける主体なのだとわかった。それから、私がどれほど平安を得たか想像していただきたい。人格に対しては、人格を尊重して接することは当然だ。ましてや神の聖霊に対してである。