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コラム 牧師の書斎から

2008年8月17日号 小平牧生師

自分に与えられた働きを尊ぶということは、自分の人生を実りあるものにする上で大切なことだと感じます。たとえば、私の友人の中には、自分の願わないところに派遣されたり、本人が望まない仕事が与えられている牧師がいます。同じ教団の牧師でありながら、それぞれ任命された教会によってその待遇も働きもずいぶん異なります。しかし、最低の条件の中で奉仕している彼は、その中でとても輝いて自分を磨いています。彼の言葉や態度からわかることは、自分に与えられた働きを「神の国の拡大」という視点で位置づけて、自分の務めをその一部分として尊んでいるからであるということでした。

建築現場でレンガを積んでいる職人さんに「あなたは何をしているのですか」と聞いたところ、一人の人は「見りゃわかるだろ。レンガを積んでいるんだよ。毎日毎日同じことでイヤになるよ」と応えたのに対して、もう一人の人は「はい、私はすばらしい教会堂を建てているのですよ」と、目を輝かせて応えたという有名なお話があります。この二人の人は、レンガを積むという同じ仕事をしていても、その意味がまったく違います。当然二人の人生は大きく異なっていきます。

私たちに与えられた働きにつまらない働きはありません。椅子を整えることも、お皿を洗うことも、それを自分に与えられた務めとして尊ぶ人にとっては、それ自体が神様への礼拝であり、それを通して成長していくことができます。新しく来られた方に歓迎のことばを述べることも、礼拝のメッセージの奉仕も、神様の前にはまったく同じように尊い奉仕なのですから、あなたに与えられた働きを尊んでいただきたいのです。