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コラム 牧師の書斎から

2008年11月30日 小平牧生師

ある人が、地獄と天国の様子を見て帰ってきて次のように言いました。…私が地獄に行ってみると、最初は素晴らしいところだと思いました。なぜなら、目の前には、それはそれはおいしそうなごちそうがたくさん並んでいるのです。ところが、一人一人に与えられたお箸は自分の腕よりもうーんと長いお箸なのです。おいしいごちそうをつかむことはできるのですが、それを口に持ってきて食べることができないのです。そこにいた人たちはみんなわれ先にとそのごちそうを食べようとするのですが、食べることができません。ある人はごちそうを上に投げて口で受けとめようとしたり。その人たちの姿はとてもみじめでした。

それから次に天国に行きました。そこに行ってびっくりしたのは、そこにも地獄と同じようにおいしそうなごちそうが並んでいたことです。そして天国にいる人たちにも、あの同じながーい箸が一人一人にわたされていました。ところが、みんなとっても穏やかで、満たされた幸せな顔をして目の前に並んでいるごちそうを食べていたのです。しばらく見ていると、その理由がわかりました。天国の人たちは、その長い箸を使って、他の人の口に食べ物を運んであげていたのです。そして、お互いに「ありがとう」、「おいしいね」って楽しそうに言っていました。

このお話はもちろん作り話ですが、天国と地獄のちがいは、ごちそうなどがあるかないかではなくお互いの関係のちがいにあることを教えています。イエスキリストはご自分がこの世に人となって来られた目的を、「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるため」であると言われました。今日からクリスマスを待ち望むアドベントですが、私たちは何かをしてもらうクリスマスよりも、自分が人々に仕えるクリスマス。また、受けるクリスマスよりも、与えるクリスマスにしたいと思いませんか。