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コラム 牧師の書斎から

2008年12月7日 小平牧生師

「まぶねの中に」という賛美をご存知でしょうか。「まぶねの中にうぶごえあげ、たくみの家に人となりて、貧しきうれい、生きる悩み、つぶさになめしこの人を見よ。」由木康という牧師が今から80年ほど前に作った賛美歌です。「まぶね」という言葉がピンと来ないかもしれませんが、飼い葉桶を表す「馬槽」のことです。「飼い葉おけに寝ておられるみどりご。」神の御子としては異様な姿です。そのようにイエスキリストは私たちの常識では見過ごしてしまうような姿でこの世界に来られたのです。ルカは「羊飼いは飼葉おけに寝ておられるみどりごとを『捜し当てた』」と書きましたが、その異様さは捜さなければわからないような存在だったのです。

異様さと言えば、マリヤは「布にくるんでイエス様を寝かせた」とか、主の使いは「あなたがたは布にくるまって飼い葉桶に寝ておられるみどりごを見つける」というように、「飼い葉おけに寝ておられるみどりご」は「布にくるまれて寝ている」と聖書に繰り返し記されています。私たちは、なんとなく赤ちゃんというものは布にくるまれるものだという感じがしますから、何の疑問もわかないかもしれませんが、実はそれもまた「救い主のしるし」でした。実は、ここで用いられている布とはふつう赤ちゃんのために用いられるものではない、そういう種類の布のことです。どんな種類の布でしょうか。

それは死体を埋葬するための亜麻布といわれる布です。預言者イザヤは、「救い主は、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」と預言していましたが、これは十字架上の姿だけではなく、生まれた時からの姿です。宿屋には部屋もなく、縁起でもない布に包まれ、馬のえさを入れる臭い桶に寝かされた救い主。これが私たちの救い主のしるしです。あなたは捜し当てましたか。