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コラム 牧師の書斎から

2009年3月22日 澤村信蔵師

先日、千恵が初めてパプリカを食べました。まあ、食べたと言って良いのかは分かりませんが・・・パプリカをほんの一口、口に入れるとすぐに泣き出したからです。
少し味をごまかすために、おかゆと一緒にとあげても駄目でした。何と一緒にいれても、泣くのです。
パプリカは、ピーマンよりもはるかに食べやすいよと聞いていたし、実際大人が食べたら苦味をほとんど感じなかったのですが、千恵には駄目でした。初めての苦味に耐えられなかったようです。
その姿を見つつ、神様も同じなのではと感じました。聖書を読むと、神様のきよさが、あまりにも厳しすぎると感じることはないでしょうか?正直に言うと、私自身は、戸惑いを覚える記事がいくつもあります。神様はなんて罪に対して厳しいのだと思います。しかし、実はそれが当然なのかもしれません。もう罪に対して、知らず知らずに慣れっこにされている私たちには、苦味はほとんど感じなくても、完全なる聖なる神様にとって、一度も罪を犯したことのない神様にとって、罪とは、どんなに小さいかけらであっても感知してしまう、絶対に受け入れることの出来ないものなのです。
それとともに、主の十字架を覚えました。イエス様は、「わたしからこの苦い杯を取り除けてください。」と祈られましたが、最後には、十字架の上で、この苦い杯、私のすべての罪、またあなたのすべての罪を全部飲み干してくださったのです。
一度も経験したことのない罪の苦味をすべて飲み干す時の思いは、いかほどだったのでしょうか。しかし、私たちを愛する愛によって、私たちのすべての罪をその身に負ってくださったのです。
今は、イースターを前にした受難節です。私たちのすべての罪の苦味を飲み干してくださった主イエスを心から賛美しましょう。そして、罪の苦味に、無頓着になって慣れっこになってしまっていないか、もう一度日々の歩みを点検しましょう。罪があるなら、神の前に告白し、赦しきよめていただきましょう(Ⅰヨハネ1:9)。イースターに備えましょう。