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コラム 牧師の書斎から

2009年5月10日 小平牧生師

私の母は、東北地方の炭坑労働者の娘として生まれました。当時の石炭産業は花形産業で、祖父は家庭を顧みない仕事人間かつ大酒飲みだったようです。しかし母が女学生の時、宣教師の主催する伝道集会に導かれてイエスキリストに出会い救いに導かれました。幼い頃から星空を見ては「この世界はどうしてできたのだろう」とか「自分はどこから来て、どこに行くのだろう」ということを考えていたようで、母は聖書に出会った時にその答えが与えられたのです。

母の親族にはクリスチャンは誰もいませんでした。クリスチャンである父と出会ってこの成増教会で結婚式を挙げる時には両親は出席しませんでした。さらに、結婚した年に私の父は務めていた「いのちのことば社」を辞めて献身しました。当時の聖書学院には夫婦を受け入れる体勢はなく、在学中は夫婦であっても会話をすることがゆるされないという今では考えられない時代です。卒業後は神田教会の副牧師を経て、知らない地である西宮に開拓伝道に派遣されました。その後の父の大病などを考えると、25才で西宮に来た母はつらかったと思います。しかし、母は私たちに貧しい思いをさせませんでした。少なくとも、神様に対する不信仰な姿勢を植えつけませんでした。むしろ、主にささげて生きることの特権を身をもって示してくれました。私は一度は家を飛び出しましたが、今は感謝しています。「よくぞクリスチャンになる決心をしてくれた。よくぞクリスチャンの父と結婚してくれた。よくぞ献身してくれた。よくぞ教団の命令に従って西宮に行ってくれた。」その信仰の選択のゆえに、私の人生は祝福されているのだと思います。お母さんありがとう。

成増教会のお母さんたち、母の祈りは必ずこたえられます。大丈夫です。神様皆さんの思いをすべてご存知です。