ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2009年6月14日 小平牧生師

かつて日本を代表する旧約学者であった左近淑先生は、有名な詩篇23篇の最後の6節を次のように訳しておられます。

「まことに
日々わたしの生きる限り
わたしを追ってくる
限りない恵み
だからいつもくりかえして
主の宮に帰り来るわたし」

左近先生は、その解説の文章にこう記されました。「われらの一生は長くない。キリスト者としての生はさらに短い。主の恵みから離れて生きるには、主の恵みはあまりにも大きい。」若くして天に帰られた前川新治君をその病床に訪ねた時、彼は詩篇のこの個所を開いて、私に次のように話してくれました。「牧生君。人間は人生の最後まで自分の祝福を追い求めて続けていくけれども、クリスチャンは神様の恵みによって追いかけられて人生を歩んでいくんだ。」彼は子どもの頃からずっと病気でした。からだの調子がいいという経験は30年の人生で一度もなかったのです。それでも彼は「自分は神様の恵みに追いかけられている」と言っていました。

恵みを追いかける人生と、恵みに追いかけられる人生。愛を追いかける人生と、愛に追いかけられる人生。私たちは、いつかどこかで、人生の逆転を体験するのです。私がどんなに熱心に求めていても、自分が追いかけているかぎりは本当に神様の恵みが分かってはいないのかも知れませんね。なぜなら、恵みとは、神様から一方的に与えられているものだからです。「日々、わたしの生きる限り、わたしを追ってくる。」です。