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コラム 牧師の書斎から

2009年7月26日 小平牧生師

先生はある意味で私にとって初めての牧師でした。父は牧師である以前にやはり父親でしたし、小林先生はあまりにもかけ離れた存在です。先生はふつうの牧師とはちがう型破りの牧師でした。理想を追求し旧弊を打破していこうとする姿、またかざらない人柄や単刀直入なメッセージは、学生の私には魅力的でした。しかし、型破りの人は最初は魅力的ですが、近づきすぎたり、いつもいっしょにいると大変です。型破りがいつしか開き直りに見えるようになりました。

人とはちがうことを売り物にしている。そんな気がした時から、先生から足が遠のいてしまいました。生意気な学生であった私の受け取り方は正しくなく表面的だったと思います。考えてみればまだ先生も20代だったのです。先生にとっては迷惑な話ですが、私にとっては落胆が大きかったのです。それ以降、私が牧師になってからも心底上手くは交われませんでした。先生はたまに会うとわざと私を怒らせて楽しんでいるようでした。かと言ってこっちが近づくと逃げるし、こっちが離れると追いかけてきました。今流行のカウンセリング用語で言えばバウンダリーを築き難い人でした。

しかし、私がはっきりと確信していることがあります。それでも、先生はやはり私の牧師であり、牧師であるだけではなく神の家族であり、キリストにある兄であることです。ちょっと、いやかなり?問題の多い兄でしたが(向こうもそう言ってるでしょう)、神がキリストによって私たちを兄弟姉妹とされたのです。そうであるとすれば、兄の責任は弟は負わなければなりません。それが家族というものです。どんな兄であっても、兄の祝福は弟の祝福であり、兄の罪は弟の罪ではないでしょうか。私はそう思って、むしろ感謝してこの2年半を過ごしてきました。もし、あれはあの人が勝手にしたことだ。先生の個人的なことだ。それで済ますなら、私たちは教会ではありませんし、神の家族などという言葉は使うべきではないでしょう。私もあなたも成増教会という神の家族、兄弟姉妹なのです。神様がそうされたのです。そのことを感謝しましょう。