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コラム 牧師の書斎から

2009年8月23日 小平牧生師

それはパウロがコリント教会を初めて訪ねた頃のことでした。彼はその時の自分の状況を次のように手紙に書いています。「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」(1コリ2:3) いつも前向きで、人々を恐れず、信仰に満ちているパウロが、「落ち込んで、怖くて、ひどく不安だった」というのです。おそらくその原因は、コリントの前に立ち寄ったアテネの伝道がうまく行かなかったことにあると思います。彼はそこで自分の知識と言葉のすべてを用いて福音を語りました。ところがその期待はみごとに裏切られました。アテネの人々はパウロのことばに耳を貸しませんでした。実際、「使徒の働き」にはアテネに教会ができたという記録はありません。彼は力を使い果たし、挫折感のようなものを引きずったままやってきたのではないでしょうか。しかし、コリントはコリントで考えられないような問題を抱えていました。

落胆の経験をしない人はいないでしょう。しかし視点を変えれば、それはパウロが主の命令に従おうとした証しです。伝道したからこそ、その経験をするのでしょう。伝道しなければ落胆も失望もありません。人々を愛そうとするからこそ、心を痛めたり傷つく経験をするのでしょう。その経験はパウロをキリストのしもべとして成長させました。彼はやがて「キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇ります。」なぜなら「私が弱い時にこそ、強いからです」と語ります(2コリ12:9-) 。
落胆することは良いことです。そのことによって、私たちが自分の力により頼むのではなく、神の無限の力に依り頼むようになる可能性があるからです。

さて、今月は、私は成増教会の奉仕を休ませていただきました。今日は茨城県の下館教会で礼拝と伝道会の奉仕をします。電車も通っていない陸の孤島で、「主に愛される教会、主を愛する教会」というビジョンを掲げて福音を証ししている下館教会のために、私が聖霊によって謙遜にみことばを語ることができるように祝福を祈って下さい。