ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2009年8月30日 小平牧生師

今年はプロテスタント日本宣教150年の記念の年ですが、ヨーロッパ諸国では宗教改革者ジャン・カルバンの生誕500年の記念の年としてさまざまな行事が行われています。彼についてはマルチン・ルターほど一般には知られていませんが、16世紀当時に絶大な権力を持っていたカソリック教会の中から「宗教改革」を起こし、結果的にプロテスタント教会を生み出した指導者の一人です。私たち成増教会は、歴史的にはプロテスタントの中のメソジストと言われる信仰復興運動を背景に生まれた教会です。前置きが長くなりましたが、私がお話ししたいことは次のことです。プロテスタントの中心理念は、一に「信仰のみ」、二は「聖書のみ」、そして三は「万人祭司」の三つです。ところがその中の「信仰のみ」「聖書のみ」については、カルトや異端的な教会でない限りどの教会でも中心的な考え方になっていると思いますが、最後の「万人祭司」については、大げさな言い方をすればいまだに16世紀と変わりないのではないかと思っています。英語では信徒のことを「レイマン」と言いますが、「レイマン」とは3世紀から始まったローマ教会が信徒の立場の人々に対して使った言葉で、その意味は「無能な人間」という意味です。こんな馬鹿にした話はないのですよ。その状態を「すべてのクリスチャンは祭司である」と聖書的に回復しようとしたのが宗教改革です。ところが、いまだに「牧師だけが祭司」の状態です。
実はこんなことを書いているのは、先日ある教会に行った時に、代表の祈りの中で「牧師がよく伝道できるように」と祈っておられたことばを聞いて驚いたからです。この考え方は聖書的ではありません。神様に召されているのは牧師だけではありません。すべてのクリスチャンは家庭、職場、社会に遣わされているのです。大宣教命令は牧師に対するものではなく、すべてのクリスチャンに対するイエスキリストの命令です。信徒のみなさん、メッセージを聞いて恵まれているだけで満足しないで下さい。あかししましょう。メッセージしましょう。人々を導きましょう。教会を開拓しましょう。すべてのクリスチャンが「自分は祭司だ」という意識を持った時に日本は変わります。