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コラム 牧師の書斎から

2009年11月22日 小平牧生師

姪の優実は、母親の胎の中で通常の半分の約6ヶ月の期間を過ごして生まれてきました。生まれた時、そのからだは514gという両手の手のひらに乗るような赤ちゃんでした。1500gに満たない赤ちゃんを極小未熟児と呼ぶのだそうですから、生まれてしばらくして300g余りになった彼女がどんなに小さな存在であったか想像できると思います。しかし、それでありながら、彼女は人間が神様の最高傑作品であり、どんなに完全でまた限りない可能性をもっているかを7年の人生を通して表し続けました。一才になった時、高熱が続いたために脳の半分が失われてしまいました。医師は、彼女はもはや感情を表すことはできないといいました。それでも周囲の人たちが変わることなく彼女に語りかけ、愛情を注ぎ、肌を触れ合わせていく中で、やがて彼女は笑みを浮かべるようになったのです。医師の検査によると、残った脳が予想以上に発達し続けているということでした。これは本当に驚くべきことでした。神様はすごいですね。
彼女は、その生涯で何も持ちませんでしたし、学校で何も学びませんでした。しかし、神様に愛されて生かされることがどんなにすばらしいかを、彼女は語り尽くしました。彼女は自分の力を生を出し惜しみすることなく、いつも全身全霊を傾けて生きました。一呼吸一呼吸が全身の力を傾けてもののでした。ですから彼女の7年という年月は決して短い人生ではなかったのです。

6年前のクリスマス。彼女は母の腕に抱かれていました。いつものように家族が賛美歌を歌い、順番に祈り、そして最後に父親が祈り終えるとともに、彼女は母親の腕から神の御腕に移されていきました。永遠のいのちの生涯に移されていったのです。私は、彼女の告別式で、“悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。"(2コリ6:10)とのみことばからメッセージをしましたが、まさにその通りの「すべてを持っていた」人生であったと思います。
クリスマスが近づくと彼女のことを思い出します。