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コラム 牧師の書斎から

2009年12月20日 小平牧生師

みなさん、クリスマスおめでとうございます。礼拝にようこそお出で下さいました。今週水曜日のイヴには、ぜひご家族やお友だちもお誘いになってクリスマスコンサートにお出で下さい。必ずみなさんにとってすばらしいクリスマスになると信じて準備しています。
ある方が先週私に電話を下さいました。この方は、かつては喜んでご自分の教会に集っておられたのですが、いろいろな出来事があって今は心の痛みを覚えて遠ざかっておられる方でした。自分は「なぜ?」こんな家庭に生まれたのだろうか。自分は「なぜ?」こんな苦しみを経験しなければならないのだろうか。
自分は「なぜ?」こんな犠牲を払わなければならないのだろうか。最後には、自分は「なぜ?」こんな教会に導かれたのだろうか・・と、そのようなお話をずっと聞きながら、いつの間にか私もいっしょに泣いてしまいました。人間の悲しさと何もできない自分に泣けてしまったのです。
私たちには、「なぜ?」と言いたいことや、「どうして?」とつぶやきたいことがあります。牧師である私自身もそうです。ただ私には、このように電話がかかってくることはあっても、電話をかける相手がいないだけです。でも、イエス様のもとに私の思いをそっくりすべて持っていくことができることは感謝なことです。それができなければ、私のような者がとても生きていけないでしょう。
私たちが人の代わりに代価を払うことには、それこそ「なぜ?」と思うかもしれません。しかし、聖書は言います。「あなたは忘れたのか。それとも知らないのか。あなたは代価を払って買い取られた者であることを。」そうなのです。私たちは自分が誰かのために代価を払っていると思っていても、本当は、私はイエス様というすごい代価が払われている存在なのです。クリスマスのみどりごはあなたのための代価なのです。