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コラム 牧師の書斎から

2010年2月21日 小平牧生師

私は、人の前ではけっこう強気な人間ですが、自分だけになると自分でも驚くほど弱気になることがあります。また自分の務めを考えて、わけもなく恐れに捕らわれることがあります。でもその時に聖書を読んでいると、私のそのような心を見抜いたように神様が私に語りかけられることがあるのです。そんな経験を思い起こして書き出してみました。
「もうしんどい。疲れてしまった」と私が言う時、神様は「わたしのところに来なさい」と言われました (マタイ11:28)。「だれも自分を理解してはくれない」と私が思った時、神様は「わたしはあなたを愛している」と言われます(イザヤ43:4)。「自分は本当は弱くて力がない」と私が言う時、神様は「わたしの恵みはあなたに十分である」と言われました(IIコリント12:9) 。「私にはぜったいそんなことはできない」と言う時、神様は「どんなことでもできる」と言われるのです(ピリピ4:13) 。「お金がない」と私が言うと、神様は「あなたの必要をすべて満たす」と言われます(ピリピ4:19)。「こんなことにいったい何の意味があるのか」と私が言った時、神様は「すべてのことを働かせて益とする」と言われました (ローマ8:28) 。「自分は神様にふさわしくない」と私が言う時、神様は「おまえは私のものだぞ」と言われます (イザヤ43:1)。「これではからだがもたない」と私が思うと、「あなたに鷲のように力を与え」と言われます(イザヤ40:31)。「多くの人々ので話すのが恐 い」と私が言うと、神様は「話すべきことはその時に教える」と言われます (マタイ10:19) 。「いや心配です、先に教えて下さい」と言うと、「だれがおまえに口を与えたのか」と言われます(出エ4:11)。「子どもの将来が心配です」と私が言う時にも、神様は「心配するな。私が全部知っとる」と言われたのです(マタイ6:32)。などなど・・・。
私はすべてのことを知りません。知らないのにもかかわらず、目の前を見て否定的になります。だから、神様の言葉がなければ生きていけないのです。