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コラム 牧師の書斎から

2010年3月14日 小平牧生師

昨年の5月頃、ある一人の方から会いたいという連絡があり、入院しておられる病院に訪ねました。彼のおばあさんが熱心なクリスチャンで、本人は20歳代の時に洗礼を受けておられましたが、最近はクリスマスなどの時に家族で礼拝に来られるくらいのつながりでした。私が病室にうかがうと、脳腫瘍のため余命三ヶ月と宣告された病状を説明され、葬儀の際にはすべてを私に任せたいことを話されました。そして、「先生、死に対して備えたいと思うので自分を導いて下さい。」と言われたのです。彼は、私より五つ上で、大学生と中学生の二人の息子がいます。彼は学生時代は相撲の選手で国体で優勝したことがあり、二人の息子たちも柔道選手で100キロを超える大きなからだです。その息子たちを前に、彼は「息子たちに人生の一番大事な死に備える姿を見てもらうことが、父親の最大の務めだと思います。」「不安や恐れや自分の弱さもすべてありのままを皆さんに伝えて祈っていただきたい。」「家族に支えられていることが何よりも感謝なことです。」と、涙ながらに語られました。私は、彼の病んでいるところに手を置いて癒しを求めて祈り、そして、聖書を読んでしばらく語り合い、祈る時を持ちました。それから10ヶ月の間、彼とその家族はその日に向かって備え、前の夜は家族と一緒に自宅で鍋を囲んで楽しみ、お互いに感謝を語り、お風呂に入り、先週火曜日の夜、彼は年老いた母に「大丈夫だよ」と語って眠るように天に帰りました。
今年もまもなくイースターです。イエスキリストの復活を知っている私たちは、たからかに宣言し、賛美しましょう。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエスキリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」
私たちには悲しさがあります。さびしさもあります。私たちは癒しを信じて祈ります。あなたは生きなければなりません。長寿は祝福です。しかし、癒しも長生きもそれは祝福であっても、死に対する勝利ではありません。私たちの勝利は、死に打ち勝ったイエスキリストです。