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コラム 牧師の書斎から

2010年5月23日 澤村信蔵師

先日新聞で目にしたことのない罪名を見た。ある写真家が、霊園の墓所でわいせつな写真を撮ったということで、公然わいせつ罪とともに、適用された礼拝所不敬罪というものである。調べてみると、礼拝所不敬罪は、神祠・仏堂・墓所・その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をすると罰せられるという罪である。不敬というのはあいまいな表現に思うが、今までは、墓石を倒したり、葬儀の場でわざと棺を落としたりした人などに適用されている。ちなみに、説教等妨害罪というものもあり、説教、礼拝又は葬式を妨害した者も、罰せられるというのもあった。説教などを妨害することも禁じられているのかと驚いた。これらの罪は信教の自由と大きく関係がある。

日本では、信教の自由が認められており、その自由を不当に奪う事は許されないことである。それが法律で裏打ちされているということは、我々も知っておかなければいけない事柄なのかもしれない。 我々は、唯一の神を信じており、それ以外の神はいないと信じている。でも、だからといって他宗教を信仰している人たちを決して馬鹿にしてはいけないのではないか。まして、宗教施設(寺社仏閣等)や他の宗教を信じている人に対して何らかの破壊行為をしようなどとは夢にも思っていけない。でも、十字軍や、イラクへの侵攻などは、そのような思いがあったことは否定できない。他者を否定することによって自分たちを肯定する方法をとることを神は望んでおられない。それは、私たちに与えられている恵みを知らないことにもつながる。神が与えてくださった恵みは、他者と比較などする必要もないくらい大きいからである。それとともに、自分はどれだけ神を敬っているだろうかということも考えさせられた。我々は、法律があるからとか不敬にならないようにと礼拝するではない。神が素晴らしいから敬うのである。でも、その神が今日もここにおられるということをどれだけ意識しているだろうか。神がおられるのに、神に対して不敬な行為をしてしまっているということはないだろうか。今日も生きておられる神を心から礼拝しよう。