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コラム 牧師の書斎から

2010年5月30日 澤村信蔵師

ある方から、一冊の本を紹介されました。「神の小屋」という本で全米で400万部以上を記録した本です。ストーリーとしては、平凡な日常を送る50代の男性マックが、その最愛の末娘ミッシーが休日のキャンプ中に誘拐されるという事件に遭遇する。信仰深いわけではないですが、娘の危機に必死に祈りを捧げます。でも、数時間後、オレゴンの荒野の廃れた小屋で彼女の血に染まったドレスが発見される。残されたテントウムシのピンから連続殺人犯の凶行であることは間違いなかった。事件から4年たっても、ミッシーの遺体さえ見つけられず「大いなる嘆き」から抜け出すことができないマックに、「あの小屋へ来ないか」という神様からと思われる奇妙な招待状が届く。これはなんの冗談か、はたまた犯人からの挑戦状かと悩んだあげくにマックは意を決し、一人でその小屋に向かう。そこで待っていたのは、人生を変える「神との体験」でした。しかもその神は、彼の今までの概念を覆すお方でありました。

実は、マックの神概念だけでなく、アメリカのキリスト教会の神概念と異なるということで多くの議論をも生みました。たとえば、父なる神も聖霊も人間の形をしていて、ともに女性として描かれているなどです。また三位一体の交わりを、皿を洗ったり、料理を作ったり、庭の剪定をしたりなど平凡な日常生活の中で、麗しく描いていたからです。確かに、神様が女性であったらどうなるんだろうとも思いますし、神様が料理をするなんてあまり想像もできないことですが、この小説は、そういう凝り固まった神概念を崩す意図があったようです。そして、そのような日常の交わりを描きつつ、大切なのは、交わりの中で得られる神との関係性だと語っているのです。そして、ミッシーも、マックも、私たちをも神は愛しておられる。どんな試練があっても、神を信頼することの大切さを、神の愛の中に包まれる大切さを語っています。私たちも、さらに神様との生き生きとした関係の中に生きるものとなりましょう。