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コラム 牧師の書斎から

2010年7月18日 澤村信蔵師

先週3度目の結婚記念日を迎えました。といっても、特に何をするというわけでもなく、二人でケーキを食べ、ここまで守られたことを神に感謝しました。思い返すと、結婚が決まってから成増への赴任も決まり、その転任にも喜んでついて行くと言ってくれました。1年後には、子供が与えられ、愛情を持って、かつ甘やかせることなく子育てに奮闘してくれています。そして、二人目の子供も神がゆるされるならこの地上に誕生しようとしています。この3年間、いろいろなことがありましたがすべてが神の恵みでした。そして、何より妻に感謝することは、こんなわがまま身勝手な人を私を見捨てることなく、いつも一緒に居続けてくれたことでした。私は結婚ということを考えた時、自分の生活がなくなる、自分の自由に行動できないということで結婚に躊躇していた時期がありました。でも今思うとそれは大きな間違いでした。どんな時も一緒にいてくれるそのことがどれだけ心強く、今の私に力になっているかと感じます。

イエス様と私たちとの関係は、結婚生活にもたとえられます。イエス様は、申し分のない完全な夫であり、私たちが、妻です。我が家とはちょうど正反対です。夫であるイエス様には問題はないのですが、私たちには少しというか、いつも問題があります。イエス様を信じきることができなくて疑ってしまったり、イエス様以外の何かに頼ってしまったり、イエス様を忘れたわけではないですが、いないかのような生活をしてしまったりするのです。でも、どんな時もイエス様のほうからは離れることがないそんな夫婦なのです。離婚をするかしないか、イエス様はその権利を完全に放棄されていて、私たちだけに委ねられているのです。

こちらに欠けがあっても、どんな失敗をしても、もう一度イエスの前に出ていけるのです。どんな時も、何があっても、ともにいてくれるということはどんなに幸いでしょうか。今日もともにおられる主を見上げて、心から礼拝をささげましょう。