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コラム 牧師の書斎から

2010年10月3日 小平牧生師

人生には短い時間を全力で走り抜く人と、生涯の終わりの頃になって人生の本番を迎える人がいます。夏に松山に行った時に「坂の上ミュージアム」を見学しましたが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公である秋山好古、真之兄弟と正岡子規の年表を見ながら、彼らもそうですが幕末に活躍した志士たちは現代に比べるとみな短命であることをあらためて思いました。吉田松陰は30才、高杉晋作は27才、坂本龍馬は31才で生涯を終えました。三人足しても米寿です。もちろん彼らは、死刑、肺結核、暗殺という死に方ですが。長く生きた人物と言えば75才で亡くなった勝海舟でしょうか。

年をとってから活躍した人といえば、旧約聖書に登場するモーセです。40才の時に人生の挫折を経験して荒野の生活に入り、80才になって主の召しが与えられ、大仕事をしましたが120才になって天に召されました。ところが、申命記の最後を見ると、彼は死ぬ時にも「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」とあります。荒野で生活すると目が悪くならないとは言いますが、彼が肉体が弱って死んだのではなく使命を終えたので生涯を終えたことを聖書は示しています。私たちはどんなに肉体が弱っても、使命があるかぎり死にません。

しかし生きたいと思っても死ななければならない時があるのですから、死にたいと思っても生きましょう。どっちにしてもいずれ私たちは死にます。しかし私たちの死は永遠の生涯の始まりです。だから私たちはそれらしく生きましょう。

私は、司馬遼太郎のように明治の時代を必要以上に美化したくありませんが、しかし確かに彼らが輝いているのは、自分の時代に、自分の使命に生きたからだと思います。サムエル・ウルマンの「青春の詩」には「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のあり方を言うのだ。…人は年を重ねただけでは老いない。理想を失なう時に初めて老いるのだ」とあります。「リバイバルを!」と叫んで天に帰って行かれた師を思います。