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コラム 牧師の書斎から

2010年10月10日 小平牧生師

最近、どこでも「困った人」が問題になっています。あるところで雑談している時に、経営者と、学校の教頭と、警察官をしている方々が、口を揃えて「一番大変なのがこの『困った人』をどうするか」だと言っていました。役員会の時にも、企業の研究者が、「困った人」対策に時間をとられて自分の研究がなかなかできないと嘆いていました。牧師と話していても、教会の中にそういう人がいて疲れていると訴える人がいます。

友人の水野牧師がブログで、ロバート・ブラムソンという人による「困った人」の分類を紹介していました。「1.敵意を秘めた攻撃的なタイプ:相手に攻撃を加えることによって脅かそうとする人たち。思い通りにいかないと癇癪玉を破裂させる。2.愚痴をこぼす不平家タイプ:愚痴ばかりこぼして何もしようとしないタイプ。3.無口で反応しないタイプ:質問には応じるが、自分の意見ははっきり言わずぶつぶつ言うだけの人。4.愛想がよすぎるタイプ:相手の前では分別があり賛成の態度を示すけれども、言ったことは何もしない。期待を持たせたことと反対のことをする。5.何でも否定するタイプ:こちらが提案したことは必ず反対する人。6.自信過剰の成功者タイプ:自分の成功談を相手に押しつけようとする。7.優柔不断なタイプ:相手にしてもらうまでは何もしない。決定を回避する人。」以上ですが、一番最初の敵意を込めた攻撃的なタイプの中には、行動全体が攻撃タイプの重戦車型と、うしろから攻撃するスナイパー型、そして突然爆弾を投げる自爆型があるそうです。これ、夫婦げんかのタイプにもあてはまるかもしれません。

このリストを読むと、確かにそういう人「いる、いる」って感じですね。でも同時に、全部自分にあてはまるような気もします。ところで、今までの私の経験から言えば、一番の問題は「困った人」というのは自分が他人から困った人だと思われているとは感じていないということです。私たちは困った人に悩まされることがありますが、自分が困った人になっているとは、よもや思っていません。これが一番困ったものです。ということで、先に言っちゃいます。「困った牧師で、どうもすいません。」