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コラム 牧師の書斎から

2010年10月24日 小平牧生師

以前も紹介した、「大切なことに気づく24の話」という書物に出てくる一つのお話をもう一度。

「運動会の徒競走で5人中4等だった私に、普段は無口なお父さんが、笑顔で顔をくしゃくしゃにして頭をなでてくれたよね。体操着に4等の水色のリボンをつけてもらった時から水色が私の一番好きな色になりました。

お父さん、覚えてる?入院している時、看護婦さんに『あなたのお名前は?』と聞かれた時、『フクイヨシコです』と、まじめに答えたこと。『それは私の名前でしょ』って私が言ったら、お父さんは少し考えて『フクイヨシオかな? 』って答えた。私は『お父さんはヤスオでしょ』って笑顔で答えたけど、廊下に出てから思わず涙が出ました。でもね、自分の名前は忘れて思い出せなくなってしまっても、娘の名前は忘れないほどお父さんから愛されていたんだなあと思うと、うれしかった。」

これは、ある方が亡くなったお父さんに書いた手紙の一部です。これを読んで、お父さんらしさというか、お父さんの弱さの中に愛が表されていることに感動しました。

私たちは先に天に召された家族を思います。しかし私たちの家族というものは、それがどんなに愛し合っていたとしてもその交わりは地上かぎりのものです。ところが神の家族は永遠です。この地上で最高の愛よりもさらにすばらしい愛によって、すべての人と永遠に愛し合うのです。そこにはもう孤独も別れもありません。私はいつか妻や子どもたちと別れる日が来ることを考えたくもありません。しかし、私たちはみなイエスキリストによって永遠のいのちをいただいていますから、天の再会どころか地上に勝るすばらしい愛の関係が約束されているのです。あなたともです。ところで最初の話ですが、私の場合も案外自分の名前を忘れそうな気もします。でも大丈夫。自分で自分の名前を忘れるようなことがあっても、神様は私たちの名を忘れることのない方ですから。「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ43:1)