ここからコンテンツ

コラム 牧師の書斎から

2010年10月31日 小平牧生師

インドに、猫を怖がっていたネズミの話があります。猫が怖いネズミは、ある日魔法使いのところに行って、自分も猫に変えてもらいました。そのおかげで彼の恐怖は解消しました。しかし、それも彼が犬に出くわすまでのことでした。そこで、魔法使いは今度は彼を犬に変えてやりました。ネズミが猫に変身し、その猫が犬に変身したのです。が、それも彼が虎に遭遇するまでのことでした。魔法使いはさらに彼を虎に変えてやりました。だが、その彼が今度は漁師に会って泣き言を言ってきた時、魔法使いは次のように言いました。「やっぱりお前を最初のネズミに戻してしまおう。お前はからだは虎でも、心はネズミのまま。どんなからだに変えてやってもおまえはやっぱりネズミだ。」

外見は強そうに見えても内面はノミの心臓。初代のクリスチャンたちはみなそうでした。イエスキリストが十字架にかかられた時、彼らは人々を恐れて逃げてしまいました。ところが、聖霊によってやがて死をも恐れない殉教者に変えられます。先ほどのネズミとはちがって、彼らはその心が変えられたのです。もし私たちが、救いの恵みによって生きようとしないなら、虎のからだを誇るようになります。その方がこの世の人々も評価するでしょう。しかし依然として心はネズミの心のままですから、いずれ化けの皮がはげます。みなさん、私たちはネズミです。いやネズミ以下です。でも、からだはネズミでも、虎にも勝るキリストの心が与えられているのです。

まだ古い会堂だった時、だれかが三階の祈祷室の壁に書きました。「俺は糞だ。しかし聖霊に満たされた糞だ。」成増教会の魅力はすばらしい会堂でもすぐれた賜物でもありません。そんなものは上には上があり、高慢にさえなります。

成増教会は糞なのです。ただその中にキリストがおられるのです。それ以外に誇るものはありません。このごろ格好良くなりすぎです。(すいません。品のない表現をゆるして下さい。)