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コラム 牧師の書斎から

2010年12月12日 小平牧生師

自分は思い違いをしていた、あるいは自分の考えの小ささにある時突然気がついて、驚きとともに目が開かれたという経験がみなさんにもあるでしょう。

私たちはアドベントという「待ち望む」季節を過ごしていますが、今朝祈ってる時にふと思ったのです。「私たちが神様を待っているのではない。少なくともそれだけではなく、もっと深い意味では神様が私たちを待っておられるのではないか。私たちこそ神様に待たれているのではないか」ということです。その時、ヨハネの黙示録にある、イエス様が教会に対して「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく」と、言っておられるみことばを思い出しました。私たちはクリスマスを祝おうとその日を待っている。またイエス様が再び来られるのを待っている。あるいは祈りが応えられることを待っている。しかしその私たちをイエス様が待っておられる。心をノックしておられる。私たちの心の扉をたたき続けておられる方がおられる。そのことに気がつきました。

考えてみれば、イエス様が私の心をたたき続けて下さっているということは、イエス様は私をあきらめていない、私を捨てていないということです。私をどうでもいいと思ってはおられないということです。関心を、熱い関心を私たちに注いで下さっているのです。

私たちは、イエス様に向かって閉じて生きるのか、それともイエス様に対して自分の心と生活を開いて生きるのか、二つの生き方があるように思います。どんな時も、どんな経験も、それはイエス様が私たちの心の扉をたたいて下さっている時です。それはチャンスなのですね。私たちの心を開いてイエス様を迎えたいと思います。いよいよ、来週はクリスマス記念主日です。