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コラム 牧師の書斎から

2011年9月25日 澤村信蔵師

WWJD("What would Jesus do?"「イエスならどうするのか?」)という言葉をご存知でしょうか?ブレスレットなどのグッズもあったので持っておられる方もおられるかも知れません。イエス様ならどうされるだろうかということを常に考えながら行動することは、私たちにとってとても大切なことです。このようなグッズを身に着けることは、イエスのみこころを考えることを忘れないことを意識させてくれるからです。私たちもイエス様ならどうするのだろうかということを常に意識し、自らの態度や決断をイエスが示された手本に照らして生きるものでありたいと願います。

では、WWJDとよく似た言葉WDJDという言葉をご存知でしょうか?WDJD"What did Jesus do?"「イエスは何をされたのか?」)と言う言葉です。実は、WWJDよりも、WDJDの方が私たちにとっては大切です。なぜなら私たちの救いは、このことなしにはないからです。神の御子がなしてくださった素晴らしいわざの最たるものは、パウロも語っていますが、「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」(Iコリント15:3~5)イエスが私たちの罪のために死んでくださり、十字架の罰を受けてくださった。そして、死に打ち勝ってくださいました。それによって、私たちは生きることが出来るのです。そして、死んでも、よみがえることが出来るのです。先週葬儀を行いました。彼は、人生のほとんどを神様から離れていましたが、最後の時、もう一度神の元へ帰ってきました。ただ、この十字架を感謝して受け止めただけで天国へ導かれました。イエスがしてくださったことを恵みとして受け取るだけで、いつの日かよみがえることが出来るのです。なんという幸いでしょうか。私たちは自分が何かをしたかによって救われるのではありません。キリストがしてくださったことによって救われるのです。この恵みを心から感謝しましょう。