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コラム 牧師の書斎から

2011年11月6日 澤村信蔵師

Ministryという雑誌に、「3/11後の宗教界を斬る」というホームレス伝道をされている日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会の牧師の奥田知志師と、文化人類学者でもあり仏教者である上田紀行さんの対談が載っていました未曽有の震災の被害を受けてこれまでのやり方は通用しなくなり、その中で宗教はどのようにあるべきかということをそれぞれの視点で語っていました。(私たちは、宗教をしているのではないのではなく、イエスとともに生きているのですが…)その中で、奥田師は、「人生から苦難がなくなることはない。でも、信仰が苦難の除去を目的とする時、苦難だらけの人生の現実を受容できなくなる。総体としての人生がとらえられなくなる。苦しんでいる自分はウソだ、こんな人生はホントじゃない。本来の私は別にいるなどと考える。それを手助けしてしまう宗教になってはならない。靖国神社がその典型です。政教分離違反も問題ですが、何より苦難や罪を受容できない。人間を英雄化することでしか受容できないのが靖国です。罪責を不問にするのが悪しき宗教の限界性です。栄光に身を置いたほうが気持ちがいいと思える。しかし、それでは私ではなくなってしまう。闇の中で悶々としている自分は捨象されるわけです。」と語られていました。苦難が無くなればいいと思いますが、苦難がなくなることはないのです。「光はやみの中に輝いている。」とヨハネの福音書は告げていますが、やみが終わったのではありません。やみと光はいつも混在しているのです。やみの真っただ中にいるときにこそ、輝く光がも名前を入れると自分の10年後が分かるというものがありました。、つい遊びで自分の名前を入れてしまいました。(牧師がそんなことをするなんてもってのほかですが…)すると、どんな結果が出たと思いますか?なんと、1年後「天国」、2年後「天国」、3年後「天国」…10年後「天国」と出ました。後でわかったことですが、1年後から10年後まで「金持ち」や「貧乏」など「 」の中は変わらずに、同じものが出る仕組みになっている単純なプログラムでできたものでした。まあどんな結果がでても、何とも思わないと思っていましたが、でも、1年後「天国」と見たときに、正直笑ってしまいました。もしその通りなら私は一年後に死んでしまうからです。でも、同時に、2年後「天国」3年後「天国」4年後「天国」という文字を見たとき、ああ幸いだなと思いました。この通りだったらいいなあと思いました。そして、永遠に天国におれるものとされているということに今更ながら感謝しました。1年後死んでいる、今死ぬと言われても天国へ行けるという確信があるということはなんという感謝なことでしょうか。

しかも、そのことは、コンピューターの怪しげの占いではなく、真実なる神様が語ってくださるのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」ヨハネ5:24 主イエスを信じるだけで、もはや死を恐れることなく永遠のいのちを持つものとされているのです。

私たちの10年後はどうなっているかわかりません。いや1年後でさえもどうなっているかわかりません。でも、どういうところを通ったとしても、私たちは、最終的に行くところが定まっているのです。そして、死から命へ変わっているということは永遠に変わらないのです。イエスを信じることにより、死からいのちに移されて、天国へ行くことが出来る者とされていることを心から感謝しましょう。