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コラム 牧師の書斎から

2012年12月16日 小平牧生師

教団における私の仕事の一つに、企業で言うクレーム処理があります。牧師に対する信徒からのクレーム。牧師に対する他の牧師からのクレーム。そして信徒、特に役員に対する牧師のクレームが、私のところに持ち込まれます。理事長がしなくてもいいと言われそうですが、こういう種類の仕事がいつのまにか私の専門分野になってしまいました。それはそれでいいのですが、問題はその根本にある「怒り」です。クリスチャンにとっても「怒り」というのはなかなか手強い問題です。

これは社会問題でもあります。駅の職員への暴行行為は毎年過去最高を更新し続けているそうです。ある大手飲料食品会社の苦情処理担当者の方が教会に来られましたが、おわびの品をもって出かける仕事の内容を聞いて深く同情しました。学校の先生はモンスターペアレントの対応に疲れて、子どもたちへの教育がおろそかになってしまうのではないかと、朝の番組で小倉さんが言っていました。数ヶ月前には、東京で元警察官の老人が向かいの女性を日本刀で刺し殺してしまいました。とにかくあちらこちらで人間の「怒り」が爆発しています。

教会の中でも、牧師夫人に何かとあたっていじめる人がいます。へそを曲げてしまって牧師の話を聞かない役員がいます。反対に、信徒とケンカしている牧師もいます。いったいどうなっているのでしょうか。話を聞くと、最初は相手の批判やその原因が話題になりますが、徐々にその人自身の心の闇の部分が明らかになってきます。礼拝でさんびしてひとときは癒されたり、メッセージを聴いて愛されている感じがしても、それでは同じことの繰り返しです。イエスキリストの十字架が私たちを救い、その復活のいのちが私たちを新しく生まれ変わらせます。そして私たちは神の言葉によって成長できるのです。