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コラム 牧師の書斎から

2013年1月13日 澤村信蔵師

先週から、山本八重、後の新島八重を主人公とした大河ドラマが始まりました。彼女は、キリスト教が200年以上禁止されていた後、京都において行われた最初の洗礼式を受けた人であり、またその翌日、京都での日本人クリスチャンとしてキリスト教式で結婚式を挙げた最初のカップルでもありました。まさに時代の先端を行く女性でした。そのようなクリスチャン八重がどのように描かれるのか気になりながら、第一回目を見ました。
当然まだクリスチャンとなるはるか前の幼少期ですから、興味本位でただ眺めていただけだったのですが、その中で、一つの言葉が耳に残って離れませんでした。それは、「ならぬことはならぬものです。」という言葉でした。6歳~9歳までの「什」と呼ばれる地域グループの規則の言葉です。卑怯な振舞いをしてはなりませぬとか、十戒を思わせるような言葉が続き、最後に「ならぬことはならぬものです。」と締めくくられていました。そして、最後の方で八重は大失敗をします。自分の兄を始め大人たちが、大切な軍事訓練をしている真っただ中に、幼い子供である八重は木から落ちそうになり大きな音を立てて、軍事訓練の邪魔をしてしまうのです。私ならもう震え上がってどうすることもできないと思いますが、八重は名乗り出て、自らの罪を認め、友人たちも自分たちも同じ穴のムジナだと告白するシーンは、本当に感動しました。ならぬことはならぬそのことが体に染みついているのですね。会津とは私は何のゆかりもありませんが、日本人として先人の素晴らしい姿を誇らしく思いました。と同時に、ならぬことはならぬことがしみ込んでいることは本当に素晴らしいと思いました。
私たちは、それよりもはるかに素晴らしい神様の教えを頂いています。しかも、ただ神はならぬことはならぬと言われるだけでなく、私たちがどうしてそのようなことをしてはならぬのか教えてくださっています。また、神の戒めを守るための力も与えてくださっています。それだけでなく、神の戒めを守ることがどんなに祝福か教えてくださっています。それでも、私たちは様々な理由をつけて神の戒めを破ろうとします。でも、「ならぬものはならぬ」のです。神の言葉に従い、さらなる祝福を頂く者とさせていただきましょう。