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コラム 牧師の書斎から

2013年3月10日 澤村信蔵師

十字架で語られた言葉の一つが、「まことに、あなたに告げます。あなたきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23章43節)です。イエス様がつけられたゴルゴタの丘には3本の十字架が立てられました。真ん中にはイエス様が、そして両サイドに2人の強盗が十字架につけられました。最初のうち二人の強盗は、群衆と一緒に、イエス様をののしっていました。ところが、途中から一人の強盗が、もう一人の強盗をたしなめて言うのです。「おまえは、神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だが、この方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(ルカ23章41節)と。自分も同じ十字架という刑罰を受け、痛み、苦しみを体験させられているからこそ、気づいたのかもしれません。その苦しみの中にあっても、「父よ。彼らをお赦し下さい。」と執り成し祈られる主の姿に驚きを覚えるのです。そして、「この方は、悪いことを何もしなかったのだ」と気づくのです。罪を犯したことのない救い主を見出したのです。でも、もう時すでに遅しです。罪を悔い改めることも人生をやり直すこともできません。だから、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」そう言うのが精いっぱいでした。

でも、そういう彼にイエス様が語られたのが先ほどの言葉です。悔い改めにも届かなかった強盗こそが、イエスとともに最初にパラダイスに導かれたものになったのです。この言葉は私たちに多くのことを教えてくれます。第一にどんな罪人であっても、自らの罪を認め、主イエスに出会い、主イエスにすがるなら救われるのです。第二に、あなたは「きょう」パラダイスにと言われるように、救いは瞬間的に訪れるのです。信じたその時に、救いが確定するのです。さらに、もう人生をやり直すことが出来なくても、良いことが全く出来なくても救われるのです。私たちは、行いによって救われるのではありません。あの強盗をもパラダイスに導いてくださった主イエスの恵みとあわれみに包まれて今日も主とともに歩んでいきましょう。