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コラム 牧師の書斎から

2013年4月28日 小平牧生師

先輩が後輩に、あるいは上の者が下の者に対する時に、私たちは「相手を信頼すること」と「相手に期待すること」を混同することがあるように思います。信頼はギフトです。すなわち無条件で与えるものです。もちろん、信頼を受ける側が信頼に値する人となることは大切です。しかし、信頼を与える側は自分の責任において信頼を与えるものなのです。相手を本当に信頼しているのか、あるいは信頼していると言いながらも実は自分が望むように期待しているかは、こちらの願いに相手が応じなかった時の私たちの反応によってわかります。信頼を与えていた場合は相手を責めませんが、一方的に期待していた場合は相手を責めたりすることになります。

主イエスは、ご自分を3度も知らないと否定したペテロに、教会のリーダーの責任を託されました。ペテロは信頼される者にはまったく足らなかったのです。しかしイエスはご自身の責任においてペテロに信頼を与えられました。この信頼関係によって、ペテロは与えられた信頼に値する者へと成長を遂げることになったのです。

私自身も先輩牧師から「もっと信頼される人になりなさい」と言われたことがあります。しかし、先生自身の期待に応えるように求められているように感じて嫌な思いがしました。一方でまったく同じ私に対して信頼を与えてくださった先輩もおられます。同じ人に対しても、信頼を与えない人と、信頼を与える人がいることを学びました。教会というのは人間関係が濃いので、人を決めつけてしまうところがあったり、要求するレベルが高くなりがちです。互いの関係において、信頼のギフトを積み上げましょう。