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コラム 牧師の書斎から

2013年6月23日 小平牧生師

羽鳥の聖書学院で行われた牧師の祈祷会に参加しました。毎年6月と11月に、教団の各部門の責任者になっている牧師たちが集まって三日間の祈りの時を持っています。こういう集まりをリトリートと言いますが、実はこの祈祷会は、私にとって大切な意味があります。私はこの半年に一度のこの時に、わずかな時間ですが自分の時間をとってそれまでの半年間の生活と働きを思い返して、次の半年の計画を立てます。できたことを評価して次の計画を立て、できなかったことをあげてその原因を考えてその修正を図ります。定められたこのような時がないと、一年365日ただ一生懸命にやっているだけで、消耗するばかりだからです。

特に日本人は内省的で、クリスチャンになっても、イエスキリストによって救われた人生が個人の内面的な平安や充足に終始しがちです。聖書を読む時も、自分の人生の使い方よりも、自分の慰めの言葉ばかりを探し求めてしまいます。充電することばかり考えるので、愛の業や伝道の力はそがれ、結果的に与えられた力が内部消費されてしまっています。私たちクリスチャンは、愛なる神に出会い、その神によって生かされ、神に従う者とされているのです。救いや信仰が自分の感覚に終始してはいけません。恵まれる説教、いやされる賛美、気に入った人との交わり。それを満たしてくれる教会を求めて転々としている人たちが山のようにいます。しかしそれでは何も変わりません。「イエス様、イエス様」と言いながら、ちっともイエス様に従おうとはしないのです。

まもなく半年が終わります。ここで少し静かな時間をとって、自分とその働きをふりかえり、自分の成長のために目標を立ててはいかがでしょうか。目標があれば、あなたは成長します。なぜなら、生命が与えられているからです。