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コラム 牧師の書斎から

2013年7月7日 澤村信蔵師

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」
ガラテヤ6章7~8節
種をまけば、その種にふさわしい実を結びその刈り取りをするというのはこの世の常です。メロンを収穫したくて、トマトの種を蒔く人はいません。きゅうりを収穫したくて、イチゴの種を蒔く人もいません。もし、そんな人がいたらその人は少し頭が…な人ですよね。なぜなら、私たちは蒔いた種と同じ実を結ぶということを知っているからです。どのような実を結びたいか。それと同じ種を蒔くのです。私たちが収穫したい実と同じ種を今日も蒔くのです。
今日自分がどうあるか、それが将来の自分を形作っているのです。私たちがイエス様にならって歩んでいきたいと願うなら、イエス様がされたように、神の為に自分の人生を費やす必要があります。御国の種を蒔くために大切なことは、みことばを伝え、そしてみことばを実行するということです。
そして、そのことを神は見ておられます。「神は侮られる方ではない」というと少し怖い感じがします。神様が見ているのだからちゃんとしないといけないその様にも取れます。確かに神は侮れられるおかたではありません。でも、私たちの神様は、私たちを裁くために私たちを見ておられるのではないのです。
私たちの神様は、望みの神であり、忍耐の神であり、励ましの神です。私たちが神様に従っていくなら、神様は私たちが思う以上の祝福を与えてくださるのです。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」(マタイ10:42)と言われるお方なのです。水一杯というわずかな種を蒔いたことをも忘れないで報いてくださる方がおられるのです。だから、今日も自分の人生をかけて、御国の種をともに蒔いていきましょう。そうすれば必ず実を刈り取ることができます。