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コラム 牧師の書斎から

2013年9月29日 澤村信蔵師

「天の下では、何事にも定まった時があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。…愛するのに時がり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。…神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神は、また、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」伝道者の書3章1~11節

この伝道者の書のお言葉は、私たちに深く考えさせます。ここでは、この世を天の下と呼んでいます。天の下ではなく、「天」からの視点で見ると、神様がこの世界の時間を支配していることが分かります。そしてここには、「生まれる」と「死ぬ」、「愛する」と「憎む」のように、私たちにとって、好ましいことと好ましくないこと、良いことと悪いことが続けて書かれています。良いことばかりが続けばいいのにと思いますが、そうはいかないのです。生きることだけであればとも思います。でもこれ以上人類が増えたら、食料やエネルギーなどがどうなるのでしょう。神は生まれる時を定めてくださっただけでなく、死ぬ時も定めてくださっているからこそ、バランスが取れているのです。また憎むや戦うことは常に悪のようにも感じます。でも、罪やサタンや神の敵は「憎み」、「戦う」責任を果たさなければこの世に悪が広まるばかりです。真理を巡って戦うべき時が必ずあるのです。このように見てくると、私たちは自分にとって忌まわしいと思われるすべての時も、「神の時」として見ることができるのです。そして何より神のなさることは、すべての時にかなって美しいのです。忌まわしいと思うことがどうして起こるのか理由は分かりません。でも、それは私たちがすべての結末を見ることができないからです。永遠への思いはありますが最後を知らないからです。でも、永遠の神は最後どうなるかをご存じなのです。そして、地上のすべての「時」を支配しておられる神が、「ご自身の時」に、「すべて」のことを、「美しい」と言える状態へとあらかじめ備えておられるのです。私たちは、今日もこの神をほめたたえましょう。